それぞれに思うのは やっぱり 「家族っていいな」 ってことです。
1年半程前、初めて父に手紙を書きました。
17歳の夏から今までに感じていたこと、これまで言ったことのない、内に秘めた思いとかそうゆうの全部吐き出すかのように。
書きながら泣き、全部伝えたいと思って書き進めてはまた泣き、そうして便箋何枚にもなった手紙でした。
これまで、僕の中の寂しさや悲しみのような感情の隣には、いつも母親がいました。
あの日以来、何度も何度も泣きました。
ちょっとしたことで感情のバランスが崩れたかのように。
なんで泣いてるのかわからないこともたくさんあった。
よく、時間が解決してくれると言うけど、確かに、いない生活にはいずれ慣れます。
それはそれで寂しい気もするけど、いつもいつも恋しく思ってるわけではない。
なのに何故だか涙が止まらない時がある。
彼女はよく泣く人だったので、自分はそれを受け継いだのかもしれないなと、いつしかそう思うようになっていました。
たくさんの後悔がありました。
あげればキリがないくらい。
当時の僕は野球部で帰りも遅く、母の入院生活にも慣れてしまっていて、お見舞いに行かず1ヶ月程会わないことも頻繁にありました。
初めての手術の日、学校に行く前に「がんばってね」って言いに行ったら、お母さん泣いてた。その後の手術の時も「また来てくれるかと思った」って、優しい表情で言ってた。
なんで行ってあげなかったんだろう。
久しぶりに退院して家に帰ってきた時、
体力の落ちた母に頼まれ、夕飯後の食器洗いを面倒くさそうに変わったこと。「疲れてるのにごめんね」って言ってた。
なんで「大丈夫だからゆっくり休んでて」って笑顔で言えなかったんだろう。
母の日のお見舞いに父が代わりにカーネーションを準備して、子供達からだと伝えていたこと。数日後にお見舞いに行った時、「こないだお花ありがとうね」って嬉しそうに言ってて、本当は父さんが用意したんだけどなって内心気まずい思いをしたこと。
なんで自分でカーネーションを用意して持って行かなかったんだろう。
それが、母がいた最後の “母の日” でした。
いなくなるなんて思ってなかった。
ある日父に食卓に呼ばれ、嫌な予感がした。話を聞いてそれから毎日会いに行ったけど、たった1週間だった。最後の1週間だけ。もっと会いに行くべきだった。
大切な人がいなくなってしまうことがいいわけないけど、そのことによって得たものもたくさんあります。
1番は父と弟、家族の絆。
いつまで経っても寂しい、悲しい、という思いはどこか心の奥深い部分に残っているのかもしれません。
だけどそれ以上に、感謝の気持ちの方が強い。優しい心を残してくれてありがとう、思いやりの心を残してくれてありがとう、って。
いなくなってからもずっと、いつも母と共に生きてきました。
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今ふとお母さんのことを思った
時々ふいにさみしくなる
切ない気持ちになる
いつも心の中にいる
お母さん
しばらく声を聞いてないから
今何してるのかな とか思ったりする
なんか変かもしれないね
お母さん
お父さんのことも助けて欲しいし俺たちのことも見ててほしい
お母さん
こんなこと言っても仕方ないけど
できることならもう一度話がしたいな
俺頑張るから
お母さんも頑張ってね
'97.03.31 1:25
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母の日に贈る花
「ありがとう」の気持ち
いっぱい いっぱいある
感謝の気持ち
いつも喜んでくれてた
この花を渡すたび
いつも
「ありがとう」って先に言ったのは
お母さん
今、言いたくても言えない
伝えたくても伝えることのできない
「ありがとう」
今年のカーネーションはただ淋しげに
枯れてゆくだけ
無言のこの切なさが
枯らしてゆく
5月