すべてを愛で包み込むということ

ここ数日、ある出来事について思い返していました。もうだいぶ前のことなのだけれど。

きっかけはひとつの言葉を深く掘り下げて考えていたからですが、結局明確な答えなどないのだと思いました。

僕が考えていたのは “非暴力” ということについてです。それを記しておきます。

 

僕は昔からあまり簡単に怒ることはない方だと思うのですが、それでも “暴力的” な考えや行動になったことは、小さいことも含めればいくつかはありました。
大抵は何か理不尽な言動や行動をしている人に対してや、それを自分に向けられた時に感じる負の感情(苛立ちのようなもの)だったと思います。

 

過去の経験の中で、自分が最も “暴力的” であった時のことを記します。
何年も前、ある女性と過ごしていた頃の出来事です。

ある夜、突然彼女が泣き出しました。わけがわからず、どうしたのか尋ねても彼女はなかなか答えようとはしませんでした。
しばらくしてから口を開いた彼女の話を聞き、その時からしばらく苦悶の日々が続きました。なぜそんなことになってしまったのか。
内容を簡潔に話すならば、彼女が過去に関わった人間により、彼女自身が借金を背負わされたというものでした。話を聞いたのはそれからしばらく経ってからでした。
何よりも納得がいかなかったのは、それを返さなければ恋人である僕の家族にまで危害を加えると脅されていたことでした。だから言い出せなかったと。

 

理不尽な状況に激しい怒りを覚えました。
自分に害が及ぶかもしれないということよりも、彼女の気持ちを利用して追い込んだ相手が許せなかった。そしてなぜそんなことになるまでに対処できなかったのか、なぜもっと早く言わなかったのか、そのことに対しては彼女にさえ怒りを感じました。あの時は、「自分はそんなに信用できないのか」そんな風に考えてしまっていました。

 

彼女は僕や僕のまわりに面倒が及ぶことを恐れていたからこそ、1人で抱えようとしていたのに、その気持ちを素直に受け止めてあげることさえ難しかった。

 

話したことで彼女自身は少しずつ落ち着きを取り戻し始めていました。

「もう大丈夫だよ」と言葉をかけてはいても、僕の内心はこの状況を作った人間に対しての憎悪の感情でいっぱいでした。警察に届けても解決するまでには至らず、結局は泣き寝入りの状況でした。何もできなかった。

あの頃ほど、負のエネルギーに満ちていたことはありません。

復讐の念すら覚えていたので、自分の中にこんなに激しい怒りの感情があるのかと、自分自身に驚くほどでした。

 

それ以来、世の中の理不尽な出来事に過剰に怒りを感じるようになり、ネガティブな情報(ニュースなど)を遮断するようになりました。
(その頃、実際に妊婦さんが暴行される事件がありました。倒れ込みながら、お腹だけはやめてくださいと助けを求めたのにも関わらず、犯人に蹴られたりもしたようでした。結果的にはお腹の赤ちゃんは無事だったようですが、自分には直接関わりのないそのニュースにも怒り狂っていました。)


正直なところ、今同じような状況になったとしたら相手を赦せるかと問われれば、答えはNOだと思います。間違っていることは間違っているし、悪は赦せない。

 

重要なのは「相手に求めるのではなく、自ら与えること(赦すこと)」だとは感じています。でも、赦すことが自分自身に対して(心に無理をして)の暴力になるのなら、その時は一体どうすればよいのでしょうか?

 

ただ思うのは、僕がすべきこと(したいこと)は万人を大きな愛で包み込むことではなく、手の届く範囲の大切な人たちを守ることです。そして自分と関わる人たちに愛を伝え、しあわせを共有することです。
あの頃の彼女に対してもきっと今の僕ならもっと違うやさしさを届けられるのではないかと思っています。

 

これからの人生においても自分自身がやさしくあるために、できることや心がけるべきことが沢山あります。

 

日々を当たり前に過ごすのではなく、いつも(なるべく)感謝の気持ちを持って人と接すること。
どんな時も先入観を持たず、ニュートラルな気持ちで、素直な心で向き合うこと。
相手の言動や行動を否定せず一度は受け止め、良いところを探す努力をすること。
良いところは讃え、それを相手に伝えること。
身近な人を大切にし、それを少しずつ、関わりのあるすべての人たちへと広げていくこと。
「ありがとう」や「ごめんね」のようなシンプルな思いこそ、自分の言葉できちんと伝えること。

 

すべてがつながっていったらいいなぁと思います。自分自身が穏やかな状態であることで、それがまわりにも広がっていったら素敵なことだし、とてもしあわせです。

 

 

Love  Life  Happiness