君たちから教えてもらったこと。

手を伸ばしても届かない何かを

なぜ人は追いかけずにいられないのだろう


見えないゴールを求めて
なぜ人は歩き続けずにはいられないのだろう


僕には その理由なんかわからない


でも 一つだけ確かなことがある


何も始まらず 何も変わらない春を選んできたのは
自分自身だったんだ


ハチミツとクローバー


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弟がカナダに移住して、この春で3年が経った。


これから住むことになるであろうその町に
一緒に下見に行ってから、1年も経たずに出発した。家族4人で海外生活を始め、それからもう3年。

 

 

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甥っ子も姪っ子も可愛い盛り。
しばらく会えなくなることはわかっていたけど、不思議とそんなに寂しくはなかった。
むしろ外国で子供を育てるということを決めた弟夫婦のその決断を称えたいと思ったし、なんだか自分のことのようにワクワクした。


親は最初は心配していたようだけど。
いや今も心配しているのかな。
でも決めたら前に進むしかない。

 


今も時々連絡をくれるし、子供たちの写真や動画をLINEでたくさん送ってくれる。(なんて便利な世の中だろう)
素敵な町でのびのびとした生活、日本にいるよりも家族で過ごす時間がいっぱいあるみたいで、それが何より素晴らしいことだと思う。


言語も文化も違うし慣れないこともたくさんあるだろう。もしかしたら時々、ホームシックなのかもしれないし、これからさみしくなることがあるのかもしれない。
(全然そんなことないかもしれないけど)


どんなことでも家族で支え合って乗り越えていって欲しいなと思う。
自分たちの選んだ道で柔軟に変化を楽しみながら、何よりも互いを大切に思える人生を歩んでくれるといいなぁ。

 

 


人は皆、無い物ねだりだ。
あれが欲しい、これが欲しい。
あれがしたい、これがしたい。
ああなりたい、こうなりたい、とか、
あげたらきっとキリがない。


自分は何がしたいのか、とか
こんなはずじゃなかったとか、
人生の中で悩むことなんていくらでもある。


でも普段そうやって探し回ってるものって本当はすぐそばにあるはずなのに、
いらないものが多すぎて気づけないだけなんじゃないかと思う。


余計なものを手放してしまえば、
きっと物事はシンプルだ。


大切なことは全部自分の中にある。
あとは自分の心の声に正直に進むだけ。

 

 


10年前の僕自身から。


『何かを変えたければ、ただじっとしていても何も始まらない。
いつだって人生どう動くかは自分次第だ。』


だって。

 

一歩踏み出せば新しい世界が待っているってことだね。

 

 

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Love  Life  Happiness

 

 

散りゆく桜が美しい

春の日差しが心地よい。
あっという間に時は過ぎて
また新しい季節が始まる。

きっとこれから先も、
たくさんの人たちと出会い
繋がっていくのだろうなと、
心の中でイメージを膨らませている。
すべてがうまくいくように。

 

いくつもの別れと出会いを見守ってきた今年の桜も、満開の時期を過ぎ少しずつ散り始めている。
そうしてもうすぐ今年の役目を終える。

 

 

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卒業してから はや1ヶ月
桜の花も咲き
春のあたたかさを感じさせる
今日この頃

みんな元気かな
長い時間ひとりでいると
なんだかさみしくなる
学校で友達にかこまれていたことが懐かしく
そんな生活を恋しくも思う

いつも一緒だった友達もこれからは別々の道を歩んで行くわけで
自分自身どうなるのか どうするのか
楽しみであり 不安でもある

ここから先がどうであれ
乗り越えていくしかない

つらいことがあってもきっと大丈夫だよね
たくさんの思い出や 友達の笑顔が
いつも僕の胸の中にあるから
いつでもみんなの声が聞こえてくるから


18歳 4月3日
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寂しがりな僕がいて、
卒業式の日はみんなが帰るまで学校にいた。
中学の時も、高校の時も。
卒業アルバムに書いてもらったたくさんのメッセージも、今はとても懐かしい。

あの日以来会っていない同級生がたくさんいる中で、今も会える仲間たちがいることは本当に有難いことだと思う。
これから先もずっと大切にしていきたい。

そしてもし、
これから久しぶりに会える人がいたら
その再会を互いに讃えられたらいいなと思う。

いつもひとりじゃない。
それを忘れない。

 

 

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卒業式
今日もたくさんの思いが交わされる

あったかい日差しに包まれながら
それぞれに刻み込まれる思い出
春の匂い

些細なことでぶつかったね
でも最後はこうして君と笑える

君と共に過ごした時間
僕は決して忘れないよ

僕たちはまだ子供だけど
急いで大人にならなくたって
きっと大丈夫だよね

これから先も
何かあったら聞かせてね
僕はいつでも君のそばにいる

ありきたりな言葉だけど
ありがとう

親愛なる君へ


20歳 3月2日
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ハタチの時に書き残していた。
卒業する子たちのことを思い、
当時の自分と重ねながら言葉を綴ったことをよく覚えている。

さみしさを埋めるように
いつまでも繋がってるよ、大丈夫だよって

自分自身にも言い聞かせるように。

 

 

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二人の少女が別れを惜しむように
変わらない友情を確かめあうように
肩をたたきながら半分泣いてた
あったかい光景だったな


25歳 4月6日
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ある春の日
ベランダから外を見ると、
違う制服を着た2人がそこにいて
偶然に再会した様子だった。
互いに励ましあう姿がとても微笑ましく、

なんだか羨ましくもあった。

不安と期待が入り交じる中でみんな自分なりに一生懸命生きてるんだなと思った。

 

 

 

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それぞれの場所で始まる新しい生活。
重ねる日々が
かけがえのない人生を紡いでゆく。

 

 

 

 

 

Love  Life  Happiness

 

 

 

 

 

 

 

誰かと心を通わせること。

本が好きだ。
いろんな本があるけれど、読むなら特に物語、小説がいい。
読んでいる間は本の中の世界にいることができるし、自分が経験したような特別な感覚になる。
そんなところも似ていた。

 

昨年から約一年かけて、ようやく最近読み終えた本がある。
普段は一冊にこんなに時間がかかることはないのだけど、僕が読むのはほとんど電車の中なので、あるページから続きを読むことができなくなってしまった。

これ以上読み進んだらとても耐えられないと思ったから。

家に置いたまま、そのまましばらく放置していた。

 

数日前の休みの日にふと思い立って、続きを読んでみた。案の定、顔をクシャクシャにしながら号泣した。
大きな喪失感で珍しくその後数日引きずった。というより、余韻に浸っていたというべきだろうか。

 

本の中の人物が、小さい時から一冊だけ好きな本があるって言ってた。お父さんから貰ったって。

その時僕の頭の中にも一冊の本が浮かんでいた。僕にもある。
父から譲り受けたカバーもぼろぼろの古い本。

ページをめくるとその本は僕のそれと全く同じだった。
なんだかうれしかった。

大事なものを忘れていた。

 

 

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ついこないだ素敵な仲間たちと、久しぶりに輪っかを繋げて作った。

これ何年ぶりだろう?最後に作ったのは、もう思い出せないくらいずっと前だ。子供の頃はよく作った。

忘れていることがたくさんある。


時々記憶の断片を辿る時間をつくることで、いろいろなことを思い出す。
大切なことは忘れたくないなって思う。

 

過去にしがみつくのではなく、
これまでのすべての経験が今の自分をつくっていることを知り、それをこれからの人生に活かしたい。

 

本がきっかけで

生きることについて考えさせられた。
もっともっと日々を大切に過ごさなければいけないなと。

 

そして誰かと世界を共有すること。
喜びを倍に。悲しみは半分に。
そうゆうのがいいな。

 

 

 

Love  Life  Happiness

かっこいい大人でありたい、と。

今年の成人式の日、

午前中鎌倉でのヨガの帰り道、とある駅で

僕の前を振り袖姿の女性が小走りで通り過ぎていった。

その時に落し物をしたのだけど気付いていなかったので、すぐに拾って走って追いかけた。

何かの書類が入った封筒のようだった。

 

「あのー!」

・・・・・

 

「すみません!!」
ちょうど改札を出たところで振り返った。

 

「これ、落としましたよ」

その女性は鞄を見てハッとなったように

「ありがとうございます」

って言った。

改札越しに手渡して、お互いすぐにその場を去った。

 

落し物を渡せてよかったのだけど、

そのあとすぐに僕は小さな後悔をした。

 

なんで「成人おめでとうございます」
って言ってあげられなかったんだろうって。

知らない女性だけど、特別な日にほんの一瞬でも接点があったのだから、せめておめでとうぐらい言ってあげたかったなって。

 

そんな出来事があって家に帰ってから、晴れ着を着ることが出来なかった沢山の新成人がいたことを知って、
とても悲しい気持ちになった。

 

二度とない特別な日なのに可哀想だなって。

でも僕は悲しんだだけだ。

 

無責任な人間に対して怒りを覚えた、

ただそれだけだ。

 

 

数日経って行動を起こした大人たちがいた。

被害にあった人たちのために、振り袖や着付、ヘアメイクに写真、成人式そのものをプレゼントするって。

八王子でも横浜でもそんな動きがある。有名人も動いたみたいだ。

 

ほんとにかっこいいと思う。

 

 

 

ずっと心に残っている言葉がある。

小学生の頃に読んだ『男の子の条件』という本の中に書いてあった言葉。

他のどんな言葉よりも印象深く、いつも僕の側にあった。

 

“義を見てせざるは勇なきなり”

 

この言葉が意味するよう、

いつもどんな時も、

成すべきことをなせる大人でありたいと、強く思う。

 

 

 

成人の日、稲村ヶ崎の海。

この日は曇り空だった。

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新成人おめでとう。

 

 

 

Love   Life   Happiness

 

クリスマスに贈る花

12月はいつもワクワクする。
子供の頃からずっと変わらない感覚。

 

クリスマスがとても好き。
家族や友人と過ごす時間も、恋人と過ごす特別な夜も、イルミネーションや街の雰囲気も。
1人で過ごすとしても、やっぱりクリスマスが好き。

 

今年はいくつかのプレゼントを用意した。
選んでいる時間がとても楽しくて、12月に会うことができた大切な人たちに、勝手にサンタクロースした。
昔のクリスマスのことを思い出して、久々にそれに近いことをしてみたくなって。

渡す時の感覚が好き。
喜んでくれるかなーって。

 

中学生の頃、クリスマスに男友達の家に数人で集まって、みんなで飲んだり食べたり歌ったりして楽しく過ごした後、夜になってから同級生の女子たちに、一輪ずつ花をプレゼントしてまわった。赤い薔薇だったと思う。情熱の真っ赤な薔薇。

ロマンチストな友人がいたので、最初僕は便乗しただけなんだけど。
次の年のクリスマスも参加したけど、それが一番楽しかった。

 

今考えると少し照れくさいけど、喜んで欲しくてプレゼントしてまわるというのはシンプルで素直な行動だと思うし、とても素敵な試みだったと思う。一緒にいた男友達はきっとみんなサンタクロースになりたかったんじゃないかな。

 

それぞれの家のブザーを鳴らして同級生の女子が出て来るのを待っている間、なんとも言えないワクワク感があった。
お花を渡したら「メリークリスマス!」って言って、また次の家に向かう。

みんな喜んでくれてた。
お花を受け取った時の笑顔が好きだった。


プレゼントを選んでいる時ってすごくしあわせだと思う。最高のお返しは喜んでくれた時の笑顔。クリスマスはみんながサンタになれるってことを久しぶりに思い出した。

 

今年のクリスマスはもうすぐ終わっちゃうけど、来年も再来年もその先もずっと言い続けていたい。

 

メリークリスマス!

 

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偽りのルール

その人は言った。

「どうして座らないの?」

 

 

もう今年も終盤だから、1年ほど前になるかな。ある電車内でのお話し。

 

海の方で美味しいものを食べお酒も入り、いい気分で移動していた。

席はいくつか空いていたと思う。だからその人は座った。けど僕は向かいに立ったまま話していた。

 

もう何年も前から決めていた。いつからか思い出せないくらい前。

きっとたぶん小学生とか中学生くらいの時からだと思う。

“どんなに空いていようと優先席には座らない”

という自分の中のルール。

それが当たり前と思っていたし、そうすることに何の違和感もなかった。

だからあの日も目の前の席が空いていたけど、つり革につかまりながら話していた。

 

でも違った。

優先席に座らないこと自体は決して間違ってはいないと思うのだけど、僕のそのルールはたぶん自己満足のそれだった。

お年寄りや妊婦さん、困ってる人が座ればいいと思っていたつもりだったけど、実際にはそんな意識もなく長年の自分ルールに従っているだけだった。

 

「どうして座らないの?」

「いや、優先席には座らないって決めてるから。」

「どうして?」

「もう何年も前からそう決めてるんだよね・・・。」

 

その後の彼女の言葉で、僕の考えは180度変わった。

 

彼女は、自分が座っていれば、本当に困っている人がいた時にちゃんと譲ってあげることができると言った。

もし他の人が座って、その人が譲ることをしなかった場合、本当に席を必要としている人が困る、だから私は座っている、と。

 

なるほどなぁと思った。

確かに、優先席に堂々と座り譲る気のなさそうな人たちはたくさんいる。

 

その考え方にとても感心したし、響いた。

だからその日以来、長年(20年以上⁉︎)のルールは捨て僕も座ることにした。今は優先席しか空いていなければ迷うことなくすぐに座っている。

 

その代わりひとつ新しいルールができた。

“優先席では絶対に寝ない”

周りを見るということだ。

 

ものの見方や捉え方ひとつで

世界はまるで変わって見える。

 

人生は面白い。

 

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すべてを愛で包み込むということ

ここ数日、ある出来事について思い返していました。もうだいぶ前のことなのだけれど。

きっかけはひとつの言葉を深く掘り下げて考えていたからですが、結局明確な答えなどないのだと思いました。

僕が考えていたのは “非暴力” ということについてです。それを記しておきます。

 

僕は昔からあまり簡単に怒ることはない方だと思うのですが、それでも “暴力的” な考えや行動になったことは、小さいことも含めればいくつかはありました。
大抵は何か理不尽な言動や行動をしている人に対してや、それを自分に向けられた時に感じる負の感情(苛立ちのようなもの)だったと思います。

 

過去の経験の中で、自分が最も “暴力的” であった時のことを記します。
何年も前、ある女性と過ごしていた頃の出来事です。

ある夜、突然彼女が泣き出しました。わけがわからず、どうしたのか尋ねても彼女はなかなか答えようとはしませんでした。
しばらくしてから口を開いた彼女の話を聞き、その時からしばらく苦悶の日々が続きました。なぜそんなことになってしまったのか。
内容を簡潔に話すならば、彼女が過去に関わった人間により、彼女自身が借金を背負わされたというものでした。話を聞いたのはそれからしばらく経ってからでした。
何よりも納得がいかなかったのは、それを返さなければ恋人である僕の家族にまで危害を加えると脅されていたことでした。だから言い出せなかったと。

 

理不尽な状況に激しい怒りを覚えました。
自分に害が及ぶかもしれないということよりも、彼女の気持ちを利用して追い込んだ相手が許せなかった。そしてなぜそんなことになるまでに対処できなかったのか、なぜもっと早く言わなかったのか、そのことに対しては彼女にさえ怒りを感じました。あの時は、「自分はそんなに信用できないのか」そんな風に考えてしまっていました。

 

彼女は僕や僕のまわりに面倒が及ぶことを恐れていたからこそ、1人で抱えようとしていたのに、その気持ちを素直に受け止めてあげることさえ難しかった。

 

話したことで彼女自身は少しずつ落ち着きを取り戻し始めていました。

「もう大丈夫だよ」と言葉をかけてはいても、僕の内心はこの状況を作った人間に対しての憎悪の感情でいっぱいでした。警察に届けても解決するまでには至らず、結局は泣き寝入りの状況でした。何もできなかった。

あの頃ほど、負のエネルギーに満ちていたことはありません。

復讐の念すら覚えていたので、自分の中にこんなに激しい怒りの感情があるのかと、自分自身に驚くほどでした。

 

それ以来、世の中の理不尽な出来事に過剰に怒りを感じるようになり、ネガティブな情報(ニュースなど)を遮断するようになりました。
(その頃、実際に妊婦さんが暴行される事件がありました。倒れ込みながら、お腹だけはやめてくださいと助けを求めたのにも関わらず、犯人に蹴られたりもしたようでした。結果的にはお腹の赤ちゃんは無事だったようですが、自分には直接関わりのないそのニュースにも怒り狂っていました。)


正直なところ、今同じような状況になったとしたら相手を赦せるかと問われれば、答えはNOだと思います。間違っていることは間違っているし、悪は赦せない。

 

重要なのは「相手に求めるのではなく、自ら与えること(赦すこと)」だとは感じています。でも、赦すことが自分自身に対して(心に無理をして)の暴力になるのなら、その時は一体どうすればよいのでしょうか?

 

ただ思うのは、僕がすべきこと(したいこと)は万人を大きな愛で包み込むことではなく、手の届く範囲の大切な人たちを守ることです。そして自分と関わる人たちに愛を伝え、しあわせを共有することです。
あの頃の彼女に対してもきっと今の僕ならもっと違うやさしさを届けられるのではないかと思っています。

 

これからの人生においても自分自身がやさしくあるために、できることや心がけるべきことが沢山あります。

 

日々を当たり前に過ごすのではなく、いつも(なるべく)感謝の気持ちを持って人と接すること。
どんな時も先入観を持たず、ニュートラルな気持ちで、素直な心で向き合うこと。
相手の言動や行動を否定せず一度は受け止め、良いところを探す努力をすること。
良いところは讃え、それを相手に伝えること。
身近な人を大切にし、それを少しずつ、関わりのあるすべての人たちへと広げていくこと。
「ありがとう」や「ごめんね」のようなシンプルな思いこそ、自分の言葉できちんと伝えること。

 

すべてがつながっていったらいいなぁと思います。自分自身が穏やかな状態であることで、それがまわりにも広がっていったら素敵なことだし、とてもしあわせです。

 

 

Love  Life  Happiness