言葉の力
今朝のこと。
傘をさしながら駅に向かって歩いていたら、同級生とすれ違った。
以前にも何度か、仕事に向かう途中で顔を合わせていたし、
今朝もお互い留まることなく歩き続けながら、自然に「おはよう」って。
彼女は続けて
「いってらっしゃい」「気をつけてね」
って言ってくれたけど、
少しずつ距離があいていく中で僕は言葉を返せないまま、その姿が遠くなって行った。
行ってらっしゃいとか気をつけてねとか、あたりまえのようにすぐに言える彼女は素晴らしいなと思った。
その言葉のおかげであったかい気持ちになった。
それから、誰かにそんな風に言ってもらったのはとても久しぶりだなと思った。それだけ一人の生活に慣れてしまっていた。
駅に着くと小さな女の子がお母さんと手を繋いでいた。
お母さん「〇〇、トイレ行っておく?」
女の子「・・・・」
「電車に乗ったら行けないよ?」
「・・・大丈夫でしゅ!」
でしゅって 笑
元気よく丁寧な言葉で返す女の子がとても可愛らしくてほっこりした。
降り続く雨に朝から靴の中がびしょ濡れになってしまったけど、
雨の日には雨の日なりに、いいことがある。
今日ももうすぐ終わり。
明日もいい一日を。
Love Life Happiness
夏の終わりに思ったこと。
今日で8月も終わり。
夏はいつもあっという間に過ぎていく。
最後の一日は急に涼しくなったし、まるで秋が急いでいるように感じた。
僕の中ではずっと、夏が一年の中心にあって、この季節が終わると何かが変わるような気持ちになる。
変わらなきゃいけないって、なんとなく自分がそう思うタイミングでもあるから、環境が変化することも多い。
ブログを更新することもせず、ここ最近、思っていたことがある。それは「心の感度」について。
繰り返される日々の中で心が鈍感になると、ただ単純に時だけが過ぎていく。
反対に敏感な心で過ごせている時は、日常の中にいろんなことを思い、小さなことにもしあわせを感じることができる。
敏感な心で過ごせていなければ、僕はこういうことを書こうとさえ思えない。
何か書いておきたいなぁなんて思って、今までの夏を思い返していたら、
もう十年も前
2007年の夏にこんなことを書いていた。
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〜夏と子供とこれから〜
今年で10年目になる。
学生の頃から、毎年夏が来る度に屋外プールの監視員。
幼稚園の頃から毎年遊びに来てる子供達が、もう小学校高学年とかになってるんだ、そりゃこっちも歳とるわけだ。
成長過程を見てきたからなんだかちょっぴり親の気持ち。かわいいやつはほんとにかわいい。男の子も女の子も。
ちっちゃい子がキャッキャ言いながら遊んでるのを見ながら、優しい顔で見守ってるお父さん、お母さん。
でっかいお兄ちゃんの背中に乗りながらいつも笑顔で手振ってくれるかわいい妹。
当たり前のように流れているその景色の中に、たくさんの幸せを感じる。
いろんな笑顔を見ていて、なんだか涙が出そうになった。
あぁ、こーゆうのが何にも代えられない幸せなのかなぁって思ったんだ。
家族ってすごいな。いつかはおれもお父さんになるのかな?
それともやっぱり、いつまでも自分の夢を追ってるんだろうか。
まぁ先のことまではわからないや。。
7月14日に妹が生まれた。今日抱いてきた。すごくちっちゃかったけど、ちゃんと動いてた。あったかくて、かわいかったなぁ。
新しい命。
父さんが優しい笑顔で語りかけてた。父さん幸せそうだ。よかった。ほんとによかった。
おれの背中で泣き崩れた日から、もう11年も経った。
初めての女の子の子育てに奮闘しながら、幸せに暮らしてくれるといいな。
さて、おれもがんばらないと。
幸せになるんじゃなく、気が付いたらそこに幸せがあるように、自分の足跡を残していきたい。
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自分の変わらない部分にホッとする気持ちと、あまり変われてないことを残念に思う気持ち、どっちもある。
一つだけ確かなことは、あの頃変わるはずがないと思っていた夢が、今は違う夢に変わったということ。
それだけでも大きな変化か。
夏の終わりに思ったこと。
それはいつだってしあわせを感じられる心でいたいということ。
そしてやっぱり夏が好きだし、
夏の終わりの夜に響く、鈴虫の音も好きってこと。
Love Life Happiness
熱い夏と声援と。
海の日の朝
電車のつり革につかまりながら
本を読んでた。
いつもなら同じ電車で海に行くところなのだけど、午前中の仕事が入った為向かう先は職場だった。
藤沢方面に向かう小田急線の途中の駅で、
女子高生の集団が乗ってきた。
みんな同じような服装をしてる。
キュッと結んだポニーテールに
赤と青と白の3色で作られたお揃いの髪飾り。
そしてリュックからはみ出しているのは
赤と青のボンボン。
彼女たちの姿を見て 突然
夏のスタンドの光景が目の前に広がったような気がした。
昨日、父からLINEで細かく送られてきていた途中経過を思い出した。
先制して逆転され、また追いついては離され、何度も何度もくらいつく、かなり白熱した試合の様子が伝わってきた。
結果は8-9
一点差での敗戦。
母校の初戦敗退は珍しい。
残念だったけど、今年のメンバーもきっと一人一人が特別な経験をしたことだろう。
藤沢から東海道線に乗り換えると
今度は青と黄色のボンボン、
また違う学校の生徒たちがこれから試合の応援に向かうところのようだった。
ここから先の数日間も、たくさんの場所で個々の情熱とそれぞれの思いが交錯する。
全身全霊のぶつかり合い。
終わった時、心から相手に敬意を払い、また次の場所へ向かう。
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17年前
彼らと同じ側にいた
あの時はとめどなく涙が溢れてきて
顔をグシャグシャにしながら泣いてたと思う
ただの悔し涙じゃない
戦ってきた相手高校
スタンドの応援団
バトン部
先輩達
家族や友達の声援
過去の練習や試合
いろんなものがあの日
最後なんだと感じた
不甲斐ない自分と
申し訳ない気持ちと
とにかくいろんな感情が
入りまじって
心の底から泣いてた
おれはいまだによく泣く大人かもしれないけど
あの時の感情はもう味わうことのできないものだと思う
母校の球児達に久しぶりに熱い気持ちを感じさせてもらった
今でも先輩や後輩達とは
たまに草野球やったり
飲みに行ったり
ずっと繋がってる
野球はいいね
そしてなんだかいい夏だ
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4年前に書いたから、あの夏からはもうかなりの年月が過ぎた。
色褪せることのない思い出が
今年もまたいくつも刻まれていくことだろう。
夏のスタジアムは
そんな特別な場所だ。
Love Life Happiness
特別な日
思い浮かべるのはいつも、母のことでした。
でもだんだんと歳を重ね、自分自身があの頃の両親の年齢に近づくにつれ、父はあの時どう思っていたのかを深く考えるようになりました。
僕たち兄弟とは違う立場で、
血のつながりはないけど、
最愛の人を失った父。
今までに、たった一度だけ、父が泣いた姿を見たことがあります。
母が家に帰ってきて、その横で僕がぼーっと座って眺めているところに、突然後ろからガバッと抱きついきて、号泣していました。
母の不在により、父との距離がそれまで以上に近くなったものの、普段、面と向かって真面目な話をすることはありませんでした。
2年ほど経ったある日、あらたまって食卓に呼ばれたので、僕はその後何を言われるのかなんとなくわかってしまいました。
こんなことになるとは思わなかったということ。
ずっと一緒にいたかったということ。
それから、できることならもう一度誰かを愛し、みんなで一緒に過ごしたい、ということ。
そのすぐあとで僕は言いました。
父さんのことを思えば、誰かいい人がいたらいいと思う。
でも自分の母親は一人だけだから、もしそうなった時は一緒には暮らせない。
今は食べさせてもらってる身で言えることではないが、その時は自分で稼いででも弟と二人で暮らそうと思う、と。そんな内容でした。その時、弟は黙っていました。
でも父は、できれば僕たちが結婚するまでは一緒に暮らしたい、とも言っていました。
それから年月が過ぎ、父は再婚しました。
母がいなくなってから10年が過ぎていました。
もしかしたら、あの時僕が言った言葉のせいで、父はなかなか相手を見つけられないのではないかと半ば心配していたので、再婚を聞いた時はうれしい気持ちになったし、素直に祝福できました。
ほんの少しだけ、ほんとに少しだけ、複雑な思いもあったけど。
僕が父に書いた手紙は、昨日、今日でここに書いたこととほぼ同じ内容で始まっています。
そのあと、父の返事で初めて、当時の父の気持ちを知りました。
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・・・・・・・
この前は手紙をありがとう。
僕も自分の考えや気持ちを伝えることはあまり得意じゃないので ちょっと照れる。
◯さん(母)が亡くなって もう20年もなるんだね。
過ぎてしまうと速かったような気がします。
僕は亡くなった時よりも ガンがわかった時のほうが泣きました。
新宿へ通う電車の行き帰りで よくこんなに涙が出るな と思うほど ずっと泣いてた。
亡くなった時はある程度覚悟ができてたので。
それから3人になって1年くらいは むちゃくちゃハードな日々だった。
・・・・・・・
・・・・・・・
◯さん(母)・◯◯(僕)・◯◯(弟)の家族との18年間、男3人での9年間、そして◯◯・◯◯(新しい家族)との10年間。
それぞれに思うのは やっぱり 「家族っていいな」 ってことです。
だから できればぜひ◯◯(僕)にも 新しい自分の家族を作って欲しいです。
1人ももちろんいい所もあるだろうけど 家族はやはり何ものにも代え難いものがあるから。
だから今の家族だけじゃなく 新しい自分の家族を作って欲しい。
そうなるといいなというまぁ 父親としての願いです。
・・・・・・・
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ほとんど抜粋してます。
何も言わずに好きなようにやらせてくれたことへの感謝、しあわせを願う気持ちと、これからの自分の覚悟、みたいなものを伝え、それに対して返してくれた父の思い。
同じ後悔をしないよう、「ありがとう」の言葉や、感謝の気持ちを父にはなるべく伝えるようにしてきました。
これからもそれは変わらないし、伝えたい思いは素直に伝えていきたい。
今もなお、たくさんの人たちからやさしさをもらっています。自分も返したい。
6/28は僕にとって最も重要な日です。
母が旅立ち、父が生まれた日でもあります。愛ってすごいなと思います。
長々書きましたが、
読んでくれてありがとうございます。
今大切な人が目の前にいるのなら、
思いを素直に伝えるということを大事にして欲しいです。
言葉に自分の心を乗せて、それを相手に届ける。
たとえそれが照れくさくても、です 笑
Love Life Happiness
それぞれに思うのは やっぱり 「家族っていいな」 ってことです。
1年半程前、初めて父に手紙を書きました。
17歳の夏から今までに感じていたこと、これまで言ったことのない、内に秘めた思いとかそうゆうの全部吐き出すかのように。
書きながら泣き、全部伝えたいと思って書き進めてはまた泣き、そうして便箋何枚にもなった手紙でした。
これまで、僕の中の寂しさや悲しみのような感情の隣には、いつも母親がいました。
あの日以来、何度も何度も泣きました。
ちょっとしたことで感情のバランスが崩れたかのように。
なんで泣いてるのかわからないこともたくさんあった。
よく、時間が解決してくれると言うけど、確かに、いない生活にはいずれ慣れます。
それはそれで寂しい気もするけど、いつもいつも恋しく思ってるわけではない。
なのに何故だか涙が止まらない時がある。
彼女はよく泣く人だったので、自分はそれを受け継いだのかもしれないなと、いつしかそう思うようになっていました。
たくさんの後悔がありました。
あげればキリがないくらい。
当時の僕は野球部で帰りも遅く、母の入院生活にも慣れてしまっていて、お見舞いに行かず1ヶ月程会わないことも頻繁にありました。
初めての手術の日、学校に行く前に「がんばってね」って言いに行ったら、お母さん泣いてた。その後の手術の時も「また来てくれるかと思った」って、優しい表情で言ってた。
なんで行ってあげなかったんだろう。
久しぶりに退院して家に帰ってきた時、
体力の落ちた母に頼まれ、夕飯後の食器洗いを面倒くさそうに変わったこと。「疲れてるのにごめんね」って言ってた。
なんで「大丈夫だからゆっくり休んでて」って笑顔で言えなかったんだろう。
母の日のお見舞いに父が代わりにカーネーションを準備して、子供達からだと伝えていたこと。数日後にお見舞いに行った時、「こないだお花ありがとうね」って嬉しそうに言ってて、本当は父さんが用意したんだけどなって内心気まずい思いをしたこと。
なんで自分でカーネーションを用意して持って行かなかったんだろう。
それが、母がいた最後の “母の日” でした。
いなくなるなんて思ってなかった。
ある日父に食卓に呼ばれ、嫌な予感がした。話を聞いてそれから毎日会いに行ったけど、たった1週間だった。最後の1週間だけ。もっと会いに行くべきだった。
大切な人がいなくなってしまうことがいいわけないけど、そのことによって得たものもたくさんあります。
1番は父と弟、家族の絆。
いつまで経っても寂しい、悲しい、という思いはどこか心の奥深い部分に残っているのかもしれません。
だけどそれ以上に、感謝の気持ちの方が強い。優しい心を残してくれてありがとう、思いやりの心を残してくれてありがとう、って。
いなくなってからもずっと、いつも母と共に生きてきました。
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今ふとお母さんのことを思った
時々ふいにさみしくなる
切ない気持ちになる
いつも心の中にいる
お母さん
しばらく声を聞いてないから
今何してるのかな とか思ったりする
なんか変かもしれないね
お母さん
お父さんのことも助けて欲しいし俺たちのことも見ててほしい
お母さん
こんなこと言っても仕方ないけど
できることならもう一度話がしたいな
俺頑張るから
お母さんも頑張ってね
'97.03.31 1:25
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母の日に贈る花
「ありがとう」の気持ち
いっぱい いっぱいある
感謝の気持ち
いつも喜んでくれてた
この花を渡すたび
いつも
「ありがとう」って先に言ったのは
お母さん
今、言いたくても言えない
伝えたくても伝えることのできない
「ありがとう」
今年のカーネーションはただ淋しげに
枯れてゆくだけ
無言のこの切なさが
枯らしてゆく
5月
熱い気持ちには熱い気持ちで応えたい
久しぶりに連絡をいただいた。
「試合をやるのでよかったら応援に来てください」
それがとても嬉しかった。
僕たちは(僕は、かもしれないが)普段、忙しいだろうなって、相手に遠慮して連絡しなかったり(お互いに)、あたりまえのようにしばらく連絡を取らなかったりする。
そうして何年も会っていない友人・知人がたくさんいる。
みんながそれぞれの環境で生活しているのだから、それは仕方ないことだと思う。
ただ、その裏にはいつも、
「いつでも会えるから」とか
「いつかは会えるから」という思いが
潜んでいる気がする。
そのままにしておけば
「いつでも」はいつまでもないし、
「いつか」もこない。
自ら行動を起こさなければ、もしかしたらその人とは一生会えず仕舞いになるかもしれない。
だから久しい人ほど大切にしたいと思う。
(もちろんいつも身近にいてくれる人達にも感謝しています 汗)
会いたい人がいたら、会いたいって言えばいいと思うし、もしその時会えなかったとしても、会いたい気持ちは伝わるだろう。
そしてそのことが、きっと次の機会に繋がっていくんだ。
今日は仕事を切り上げて、
広島から歌いに来た友人に会いに、
池袋に行ってきた。
(ここ最近の僕の行動範囲がほぼ湘南地区に限られていてだいぶゆるいので、人が多い都心部に繰り出すのはなかなか大変です。。)
彼もまた、だいぶ前から「今回は会えたらうれしい」と連絡をくれていた。
前にも誘ってくれてはいたが、何度も連続で行けなかったので、早めに連絡をくれたんだろう。
とても久しぶりだったのだけど、相変わらずいい声だったし、素晴らしい歌い手だった。
もう何年も前になるけど、彼がまだ東京に住んでいた頃、週末の早朝からみんなで一緒によく野球をした。
たくさんの思い出がある。
行ってよかったと思った。
おかげでもう1人、久しぶりの友達にも会えた。同じく広島出身の元野球仲間。はじめましての息子くん(もうすぐ1才)も、めちゃくちゃ可愛かった。
今のところ断捨離対象外の野球帽
冒頭に書いた今日のお誘いが、こんな気持ちにさせてくれた。
最近は参加できてないけど、格闘技の練習でとてもお世話になった兄貴のような人。
年齢など関係なく試合に臨む、熱い魂の持ち主。
「男は40からだと思っております!!
気持ちも肉体もまだまだやれます!!
格闘技に仕事にお互い頑張りましょう!!」
言葉に力がある。
見習いたい。
広島の歌い手にも戦う兄貴にもハートがある。
理由はなんでもいい。
人前で何かをするということには、それ相応の責任が伴うし、場所代なりギャラなりファイトマネーなり、自身でなんとかしなければいけないことはよくわかっている。
とにかく僕に声をかけてくれた、
そのことがうれしい。
ありがたいなぁって思う。
応援には必ず行きます。
今の僕にはヨガもあるから、これから先は、静と動を兼ね備えた大人の男であり続けたいと思います。
Love Life Happiness
執着心を解放する
書かないうちに、あっという間に半月が過ぎた。
こうしてどんどん時が過ぎていく。
何を話すべきか考えていたのもあるけど、それよりもまず思ったことがある。
断捨離について。
モノを処分する時、すぐに捨てられるものと、思い入れがあってなかなか捨てられないものがある。
だから番号をつけて写真とともに思い出を語ってこうと思ってた。
けど、このままのペースだと僕の身の回りのモノはなかなか減らない。
そしてこれじゃあと何年かかるかわからない。。
数えるのは得策じゃないかもしれないから、これは考え直します。
ちなみに数年前から断捨離は始まってた。一体ゴミ袋何個分のモノを処分したかわからない。相当捨てた、けどまだまだモノがいっぱい。
以前はこんな感じでCDが積み重なってた。
音楽が好きだし、昔はバイト代のほとんどをCDやレコードに使ってた。
今はCDもあまり売れない時代だし、PC1台でほとんど足りてしまう。
名残惜しかったけど、2ヶ月程かけて全てのCDをMacに落とし、特に思い入れの強い数十枚を残してあとは手放した。
今こんな感じ。
レコードはまだあります。
読み込めないから。
これも大切なものだけ残すようにいずれ厳選します。
手放してすっきりした例。
思い入れがあるものを手放すことは勇気がいる。
でもそれを乗り越えれば、手放したぶんだけゆとりが生まれる。
部屋のスペースも心のスペースも。
沢山の音楽が様々な場面に彩りを与えてくれているよ。
ありがとう。
Love Life Happiness